第 72 部

             

            「あ、手紙。手紙のことはどうなんですか?」

            「三谷さんから聞いたんですね。手紙のこと。お話しします」

            「柳さんが亡くなった時、最初は誰もが普通の交通事故だと思っていました。しかし、柳さんの机を整理していた時、一つのメモが出てきました。それには私に連絡を取るように、と書いてありました」

            「メモじゃなくて手紙・・・・」

            「まぁ、そう急がないで。もともと私はそのオーナーの方から依頼されて、柳さんにもしもの事が起こった場合はオーナーの権利を柳さんの家族に譲るから、その手続きを進めて欲しい、と依頼されています。ただ、それにはオーナーと柳さんの間で決めた約束を書いた手紙を手に入れる必要がありました。それがないと証拠にならないからです。それが捜していた手紙でした」

            「見つかったんですか?」

            「はい、見つかりました。見てみますか?これです」

            毎田は久美に一通の手紙を見せた。それは手書きの綺麗な字で書かれた便せん3枚ほどの手紙で、今、毎田が説明したことが丁寧に記されており、その手紙の最後に久美の知っている父の字で「ここにかかれている全ての条件に同意する」と書き足してあり、父の名前と一緒にもう一人の名前と日付が書かれていた。

            「これは手紙に見えますが、法律上は立派な契約書なんです。柳さんはそこに書かれている条件で、その名前のオーナーの依頼を受けたことが立証されています」

            「・・・・・・・・・」

            「この手紙を捜すのが大変でした。会社にも家にもありませんでしたから」

            「・・・・・そうですか・・・・・」

            久美が黙り込んでしまったので毎田は勝手に話し続けた。

            「この手紙はブラジルにありました」

            「・・・・はい・・・・」

            「ブラジルには小さな出張所みたいな物があるそうですが、そこに駐在している人が東京に出張で来た時に柳さんから受け取ったおみやげの箱の中に入っていたそうです。たぶん、その時、柳さんは何か不振な雰囲気を感じたので、信頼できる部下にその手紙を託したのでしょう。そして、もしものことがあった場合はこのメモに書いてある人を訪ねるように、と言うメモが一緒に入っていて、オーナーの自宅の住所が書いてあったそうです」

            「・・・・そうですか・・・」

            「その人は柳さんが亡くなったことは直ぐに知ったようですが、日本に出張で来る用事がなかなか見つからなかったんだそうです。郵送で送るにはあまりに大切なことだったし、他の人に託すこともしたくなかったので遅くなってしまった、と言っていたそうです。そしてこの前、やっと出張で東京に来た時に依頼者のオーナーの方の自宅を直接訪ねてこの手紙を渡しました」

            「そうなんですか・・・・」

            久美は毎田の話を全て聞いていたが、心は父の事故のことばかりに捕らわれていた。久美にとって手紙のことなどどうでも良かった。ただ、父が何故そんな危ないことを引き受けたのか、そればかりが気になった。そのおかげで父も母も死んでしまい、姉弟二人が言葉にできないほどの苦労をすることになったのだ。父は家族を危険にさらすことを考えていなかったのだろうか?

            「どうしました?大丈夫ですか?」

            「はい、大丈夫です」

            「急にこんなことを聞かされて驚いたでしょうが、久美さんにはそれを知ってもらう必要があります。そして、この件をどうするか、つまり、警察に通報するかどうかの意見を聞きたかったのです」

            「どうして私にそんなこと聞くんですか?証拠があるのなら直ぐに警察に行けばいいじゃないですか」

            「証拠はまだ無いんです。この手紙は疑いを持たせるだけですから。それに、既に普通の交通事故として片付いてしまっています。警察と言う所は、一度片の付いたことをもう一度やるとなると、そう簡単には動かないんですよ。だから、通報するためにはこちらでいくつか証拠に近い物を集めてからじゃないと無理ですね」

            「私にそんなこと言われても・・・・」

            「良いですか、これが私の電話番号です。今直ぐに携帯に登録して下さい」

            「え?・・・・・嫌です」

            「久美さん、あなたが何も知らなかったことにしたいというのなら、それでも良いんです。久美さんが望まないのなら、この手紙をここの灰皿で燃してしまっても良いとオーナーの方は言っていました。そうすれば、この部屋を出た瞬間から、また同じ生活に戻ることができます」

            「それなら・・・・・きっとその方が・・・・」

            「ただ、この会社はあなたのお父さんの柳さんが設立時から一生懸命働いて大きくしてきた会社だと言うことを忘れないで下さい。そして、そこから先は久美さんが考えて下さい。あなたには3つの選択肢があります」

            毎田は立ち上がると部屋の中をゆっくりと歩きながら久美に噛んで含めるように語りかけた。

            「まず一つ目、この手紙を燃やして何も知らなかったことにする。久美さんはこれまで通りの生活をする。私も会社もこれ以上あなたには関わらない」

            「二つ目、オーナーになる選択をするが、事故に関しては偶然の事故であることを受け入れる」

            「三つ目、オーナーになり、事故に関して予備調査をしてから警察に通報する」

            「そんなこと言われたって・・・・・」

            久美の心は乱れていた。そんな大切なことを自分一人で決めなくてはいけないなんて無理だと思った。まだ私は高校一年なのに。

            「これは私の意見なんですが、誰だって選択を強制される時期ってあると思うんです。久美さんだって高校の選択をしたでしょう?例え嫌だと思っても、決めなければいけない時はあるんです」

            「・・・・・・・・・・」

            久美はかなり長い間黙っていた。しかし毎田はじっと久美の答を待った。

            「あの・・・・・・・」

            「何ですか?」

            「オーナーになれば、お金が貰えるんですか?」

            「はい、そうです。その場合は、いろんな手続きが必要なんですが、たぶん、生活費や学費に困ることはなくなります。ただ、少し時間がかかります」

            「どれくらいですか?」

            「一言では言えませんが、3ヶ月から半年はかかります」

            「・・・・・・・・・・・」

            「あのぉ・・・・??」

            「火曜日につけてきた人のことはどうなんですか?」

            「何のことですか?」

            「火曜日に学校に来るまで、ずっと私の後をつけてきた人がいるんです。授業中も。三谷さんに電話したらいなくなりましたけど」

            「それは知りませんでした。今週の火曜日ですね?わかりました。少しここでこのまま待っていて下さい」

            そう言うと毎田は部屋を出て行った。

            一人になった部屋で、久美は悩んでいた。何を悩めばいいのか分からなかったが、頭の中がいっぱいで何も考えられない気がした。そして、じっとソファに座ったまま机の一点を見つめていた。

            やがてトイレに行きたくなり、そっとドアを開けてみた。すると数秒もしないうちに澤田が飛んできた。

            「久美ちゃん、どうしたの?」

            「あの、おトイレに行きたくて・・・」

            「分かったわ。付いてきて」

            そう言うと澤田がトイレに案内してくれた。トイレに行く途中、久美は澤田にこの会社のことを聞いてみたかった。しかし、毎田が澤田には聞かせたくない話だと言っていたので何も言わなかった。

            トイレから戻ると、澤田が直ぐに新しいケーキセットを持ってきた。ふと時計を見ると既に4時を回っている。

            それから更に毎田が帰ってくるまで一時間近くかかった。その間に久美の心は少しずつ落ち着いていった。呼び出された挙げ句、急に大切なことを選択させられるのはまだ嫌だったが、念のために毎田に渡された携帯の電話番号も登録した。そして部屋を見回してみた。

            大好きだった父、そしてその父が一生懸命働いていた会社がここなのだ。きっとこの部屋で誰かに会ったり会議をしたこともあったのだろう。何となくこの部屋のどこかに父の息吹が感じられるような気がした。それに受付のアルバイトをしていた時に出会った人達もとても良い感じの人だった。ここでアルバイトしていた頃、久美は将来働くなら、どんな職種であれこんな雰囲気の会社で働きたいと思ったものだ。

            毎田が帰ってくると、

            「ごめんなさい、時間がかかっちゃって」

            と言って報告を始めた。

            「久美さんをつけていたのは雑誌にスクープ記事を売り込んでいるフリーのライターでした。きっと雑誌に売れると思ったのでしょう。高校生が会社のオーナーになるなんて誰だって興味を持つでしょうからね。ただ、問題なのは、誰がそいつに久美さんのことを教えたか、なんです。この事はまだ殆どの人が知らないですからね。それを調べるのに時間がかかりました。遅くなってごめんなさい」

            「分かったんですか?」

            「はい、はっきりとした証拠はないのですが、どうやらこの会社の役員の一人ですね。たぶん、久美さんへの嫌がらせのつもりだったんでしょう。雑誌に載ればきっと久美さんが嫌がってオーナーの権利を放棄するだろうと考えたみたいです・・・」

            「そんな・・・・!」

            その時、久美ははっきりと恐怖を感じた。これからも嫌がらせや脅迫めいたことが続くのは絶対にごめんだった。できることならさっさと放り出してしまいたいのだが、父の残した約束や自分たちの生活のこともある。放り出すわけには行かないのだ。

            「大丈夫です。手は打ってありますから、もうこんなことは起きないでしょう。安心して良いですよ」

            「でも・・・・・」

            「今、久美さんがどうするか決めてもらうのは少し酷ですよね。少しだけ時間を差し上げますから、その間に考えて下さい。でも、久美さんは聡明な方なので分かっていらっしゃるでしょうが、選択に長い時間を掛けても良いことは一つもありません。返ってこじれる方向に進むことだって考えられます。24時間、いつでも良いですから何かあったら電話を下さい。電話番号は登録しましたね?」

            「はい」

            「久美さん、私はあなたの味方です。正確に言うと、私に最初にこの仕事を依頼したオーナーの方の味方です。実際は同じ事ですが」

            「はい・・・・あの、たぶん・・・・・はい・・・」

            「今日はもう一つ久美さんにやっていただきたいことがあります。先程から話に出てきたオーナーの方が久美さんにどうしてもお会いしたいそうです。もう少ししたら久美さんを迎えに来ますから、一度会ってやって下さい」

            「でも、もう時間が・・・・」

            「英二君のことは誰かに任せましょう。先程ケーキを運んできた女性、知り合いですか?」

            「はい」

            「英二君も知ってますか?」

            「はい」

            「それでは彼女にお願いしましょう。そんなに遅くなりませんから」

            「あの・・・・三谷さんに相談したいんですけど・・・・・」

            「もう少し我慢して下さい。久美さんがこの件でオーナーの件と手紙をどうするか決定してからなら問題ありませんが、その前に彼に会うと、彼が決定に影響したと思われるかも知れません。それはもしかしたら彼に迷惑になるかも知れませんから」

            「そんな酷い・・・・」

            「ごめんなさい。でも、久美さんをこういう立場に置く可能性を理解した上でお父さんは仕事を始めたんですから。お父さんの御遺志だと思って耐えて下さい」

            「はい・・・・・」

            久美はひとりぼっちになってしまったと思った。幸一に会えないなんて、考えたくもない。それだけでもこの件を直ぐに放り出してしまいたかった。

            毎田は部屋から顔を出すと、澤田が直ぐに飛んできた。そして毎田が連絡するまで弟さんの面倒を見るように言うと、ニッコリ笑って承諾してくれた。